「明日の風」部員の投稿記事

※注 約30年以上前に書いた投稿記事です。

きのうのインフルエンザ

竹重 真由美

第五期生 竹重 真由美
明日の「かぜ」は、おとといのくしゃみに始まる。そしてきのうのインフルエンザである。続く今日の熱であり、当然明日のかぜである。あさっての肺炎といううわさもある。しかしこの理論には一部不明な点がある。それはなぜおとといくしゃみがでただけで、まだ熱もでていないきのう、インフルエンザであるということが判明したかというものである。それはただこの理論が「きのうのインフルエンザ」という言葉を発端として作られたからにしては前後関係が不明瞭である。それではなぜ「きのうの…」が理論の一要素として導入されたのか?そもそもインフルエンザは「流行性感冒」のことである。つまり明日のかぜの二日前には流行にのっとったものがその原因となってしまっているのではないかということである。この流行性の例として中産階級的脱力感、青年期の自信過剰、或は白昼夢などが挙げられる。かぜが全て流行性に基づくものとは限らないが、Aペキン型ウィルスなどがあれば研究のよい材料となり得るし、後継者のためのよい試料ともなるであろう。 さて、今日は事実熱があるとすれば明日のかぜということであるが、熱だけではかぜになりきれないかもしれない。ただのかぜになってしまうこともあれば、破傷風にならないかもしれない。ただのかぜになってしまうこともあれば、破傷風にならないとも限らない。確かに熱は必要であるが、それが満たされるための技術及び知識は不可欠である。問題はその技術や知識の程度である。とはいえ、熱に対応するだけの薬を調合することは、事実上不可能であろう。これは、我々のかぜの持つ性格に大きく影響されていることは確かだ。 しかし我々のかぜの性格が自由なものであるなら、効き目は十分でなくとももっと多様性に富んだ薬を飲むことができるのではないだろうか。小粒でもぴりりとからい、そんな薬を服薬できないだろうか。 あさってが、はい、円満にすんでしまうよりもいっそのことミュータントのウィルスに感染された特別入院患者にでもなった方が病院側も楽しみが増えて喜ぶのではないだろうか。しかしやはり問題は薬である。

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