「明日の風」部員の投稿記事
※注 約30年以上前に書いた投稿記事です。
「明日の風」と私

第一期生 菅原 敏雄
今、吉田キャンパスの一画に、レンガ色のモダンな建物が建設されている。聞くところによれば、完成をまじかに控えた「大学会館」であるという。何となく時の流れを感じる。
その一回生の時期を、私は知る人ぞ知る「山大詩吟部」で過ごした。上級生に文句ばかり言う、お世辞にも「可愛い」などとは言えない一回生であった。そしてその年の12月、上級生や同級生に散々迷惑を掛けた挙句の果てに「詩吟部」を退部。翌年1月、親友馬場強氏の協力を得て、「明日の風」を結成した。思えば、大学一年の冬の出来事である。
何故「明日の風」を結成したのか?映画を作りたかったから-そう、その一念からだったと思う。別に確固たる自信があったわけではない。会員募集のポスターは掲示したものの、果たして何人の人が集まってくれるであろうか。不安と期待の中での出発であった。しかし、幸運にも、会員は2人から8人、8人から18人へと増えていった。この結成一年目の昭和56年と翌57年の二年間に渡って、私は「明日の風」の代表を務めさせてもらった。何も苦労がなかったと言えばウソになる。
だが今にして思えば、それは取るに足りぬ苦労だったようにも思う。今日、「明日の風」があるのは、「人」に恵まれたということであり、またその人々の努力が有ったればこそだと思う。
今、一年遅れ(?)の卒業をまじかに控えて、私も様々なことを思い出す。本作やイメージフィルム、七夕祭や合宿、コンパや宇部レク・・・どれも懐かしい思い出である。特に、「一乃坂敏騎」という偉そうなペンネームをつけて、二本の本作(「とんでもWEEK」と「光彩」)を監督できたことは、一生の思い出となるであろう。しかし、大学時代の私の最も大きな誇りは、「とんでもWEEK」を作ったことでも、「光彩」を作ったことでもない。それは、「明日の風」を創ったということであり、また、多くの人々がそれを支えてくれたという事である。
明日の風--それは、私の大学時代のほとんど総てであったと言って良いであろう。

