「明日の風」部員の投稿記事
※注 約30年以上前に書いた投稿記事です。
私の観た「かくれんぼ」

第二期生 尾崎 誠司
昭和59年4月、とある代表宅において、私は衝撃的な3枚に及ぶ原稿を見た。そこには、私の経歴とも言える人物の像が映し出されていたのである。私は、とある代表にきいた。「これ、なんなら!」「おう、そりゃ、今年のイメージフィルムじゃ」この言葉に私はおののいた。今までダニも(わしおを除く)、話したことのなかった部分が、ここに来て公けにされてしまうのである。あぁ美しき私の思い出が…。この想いをよそに、5月、まだ桜の花びらのように可憐な一年生達の前で、クランク・インしてしまった。
シーン0、「わっ」「こら!待て」から始まるこの作品は、いわゆる一つのパラレル・ワールド的に描写されている。このパラレル・ワールドという手法は、「もしも、あの時、ああしていたら・・・」に続く発想であり、ここ最近、あらゆる娯楽的書物に出てくるものであろう。この「もしも、あの時、ああしていたら」の発想は、一柄に「後悔」という言葉に置き換え得るものであると言えば言えるが、この作品におけるこの発想は、実にさっぱりと、まるで、コーラと一緒に食べた綿菓子のように、私達の喉元を通り過ぎて行く。そこに、この作品の一つの味があるのである。そして、もう一つの味は、この作品の中に出てくる青年、すなわち現在のすさんだ生活と、もう一つの現在を対比させながらも、暗闇の中に沈んでいる良介。その心の中に一つの灯として生き続ける娘千明。そこから一条の光として現実の現在に結びつけてハッピーエンドに帰結させるというストーリー構成に現代の若者に共感を与える何かがあるのである。そして、イメージフィルムという形態をとったこの作品において、その台詞の中にも、その密度の濃さがうかがわれる。良介の言った「ラッキーやね」の一言が、それである。出会いが偶然ならば、結婚もまた偶然である。偶然が偶然を呼んで、蓋然となるのである。明日の風もついに五周年、この明日の風も、偶然の集まりである。つまり「明日は明日の・・・」の明日の風なのである。
昭和59年11月、もうじき上映会・・・やっぱり照れるなぁ。

