【昭和60年発行】5周年記念誌

明日の風

我等が「明日の風」の名は、「明日は、明日の風が吹く!」という諺に由来してます。
明日はどうなるか分からない・・・そんな創立当時の期待と不安を込めての命名でした。 そして今、吹く方角すら定かでなかった「風」、明日に向かってたくましく吹く「風」に成長してくれたようです。 もちろん今日に至る間、総てが「順風満帆」であったというわけではありません。 張り裂ける「嵐」のような時もありました。

そうした苦難の道を乗り越えて「明日の風」を築いて来て下さった総ての人々に、心から感謝の言葉を贈りたいと思います。 そして更に、これまで様々な形で「明日の風」をご支援下さった学友、大学職員、地域住民の方々にも、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

明日の風

創立当時を知る我々にとって、今日、「五周年」を迎えられたことは、まさに夢の出来事のような気がします。 本誌の中で綴られる「歴史絵巻」も、我々にとっては、セピア色の良き想い出です。 しかし、これから「明日の風」を担う4期生5期生あるいはまだ見ぬ6期生の諸君にとって、それは一つの「伝説」でしかありません。 諸君の「歴史」は、諸君自身の手によって築かれるのです。

諸君が、この「五周年」を新たな飛躍の時代への「第一歩」とし、十周年、いや二十周年に向けて弛まぬ「歴史」を築き続けてくれることを期待して止みません。 明日の風・・・その「風」が、より一層たくましき「風」として吹き渡らんことを念願して、8ミリ映画創作グループ明日の風、創立五周年---万歳!!

創立者 菅原 敏雄

「明日の風」五周年に際し、OBや部員からお祝いの祝辞を頂いています。こちら→

5年間の歩み

●「明日の風」発足の基調より
「明日の風」という名の由来は、「明日は明日の風が吹く」という言葉である。 未来というものは誰も正解に予測することはできない。 明日、風が向きを変えれば、船は帆を張り直し、舵をとらねばならない。 人間が成長するのと同様に、集団もまた成長するものである。 私達のように創作を志す者は、自分自身成長しなければないないし、その集団も成長しなければならない。
(中略)私たちは素晴らしい作品を創造するため、広範な仲間を増やさねばならない。 既成の枠組みを超えた広範な仲間が生まれることこそ、素晴らしい作品を創造するエネルギーとなることを信ずる。(後略) 昭和56年1月14日


昭和56年の出来事

月日 行事
1月14日 8ミリ映画創作グループ明日の風 結成
2月2日 山口大学学生部へ「団体結成届」提出
4月28日 新歓コンパ(於:弥生)
5月 「夢羽美」Vol.1 発行
6月1日 レクリエーション(於:宇部常磐公園)
イメージフィルム「Mysterious road」「愛色の季節」製作
7月4日 七夕祭参加(映画喫茶「明日の風」)
7月9日 夏休み突入コンパ(於:平野義広宅)
10月5日~7日 合宿(於:萩指月ユース)
10月11日 第1回本作品 Crank-in
#「教養部教室使用制限」により活動拠点を経済学部へ移転
12月9日~12日 第1回本作品「とんでもWEEK」上映会(於:教養8番教室)
「夢羽美」Vol.2 発行
12月19日 第1回定例総会・規約制定
12月21日 忘年会(於:惣野旅館)

●この年、明日の風から表彰された人々
敢闘賞(キャスト):寒河井 博
技能賞(スタッフ):菅原 敏雄
殊勲賞(マネージャー):井上 晋彦
同上:小宮 道信
同上:進藤 亜佐美

●初代役員
代表 菅原 敏雄(1~12月)
副代表 村岡 圭三(1~12月)
総務局長 大野 一之(4~12月)
会計局長 荒島 嘉彦(4~12月)
技術研究局長 平野 義広(4~12月)
初代 会計監査 近藤 由美子(4~12月)

●準役員
情宣渉外部長 小宮 道信(5~12月)
機関紙編集部長 進藤 亜佐美(5~12月)
企画部長 寒河井 博(5~7月)
資材調達部長 馬場 強(5~12月)
七夕祭実行委員 井上 晋彦(6月~7月)
規約起草委員長 馬場 強(10~12月)

活動の概括

昭和56年・・・これは、「明日の風」がその産声を上げた記念すべき年であり、同時にその一年間は、今日の礎を築く第一歩でもあった。

現在、総勢二十余名を擁するグループも、結成当初は我々一期生8名足らずであった。そこで我々がまず行わなければならなかったことは、当然一人でも多くの会員を集めることであった。「新歓」は、学内での活動実績はおろか知名度もほとんど皆無という状況の中で迎えたわけだが、我々の祈りが天に通じたのか幸いにも7名の新入生(二期生)が入会し、暫く活動らしい活動が行える様になった。そこで、毎週木曜日の晩に開かれていた当時の役員会では、議論が翌朝に及ぶこともしばしばあったように記憶している。また、会員が少なく組織的な基盤も確立していなかったため、学年を問わず総ての会員が活動・運営の両面で積極的役割を果たさねばならなかった。特に一年生でありながらマネージメントを直接支えねばならなかった二期生諸氏の活躍は、目に見張るものがあった。

ところで、当時、教養部の教室を活動拠点としていた我々は、この年10月、ひとつの危難にさらされることになった。いわゆる「教養部教室使用制限」問題である。これは、一般に同好会と呼ばれる弱小団体を教養部から締め出し、課外活動に開放する教室を削除することを狙いとしていた。結成後、間もない「明日の風」は当然その対象となった。教養部のこの様な一方的規制に対して、会員の一部には、抗議の姿勢を徹底し抵抗すべきであるという主戦論もあった。しかし当時総ての面で微力な立場にあった我々は、結局「経済学部への移転」という現実的選択をせざるを得なかった。この選択が、我々にとって弱小集団・文化会非加盟団体であるが故の悲哀を痛感させられた屈辱的選択であったことは、無論言うまでもないことであった。

ともあれ、このような外部的障害があったにも関わらず、我々は試行錯誤を重ねその活動基盤を拡げていった。そしてこの年12月には、グループ一丸となって第一回本作品「とんでもWEEK」を完成・公開し、暫く学内にも「明日の風」の存在を示すに至ったのである。

初代代表 菅原 敏雄

昭和57年の出来事

月日 行事
1月14日 新年会(於:青柳旅館)
1月20日 第2回定例総会
3月 「明日の風トレーナー」製作
5月15日 新歓コンパ(於:あんこう)
5月26日 第3回臨時総会(機材購入について)
「夢羽美」Vol.3 発行
6月1日 レクリエーション(於:宇部常磐公園)
イメージフィルム「時流」「青春」製作
7月3日 七夕祭参加(映画喫茶「線香花火」)
7月10日 第4回臨時総会
7月12日~13日 合宿(於:萩指月ユース)
9月4日~5日 夏季集中ミーティング
10月2日 第2回本作品 Crank-in
11月10日 Crank-up打ち上げ(於:K&K)
11月25日 秋季集中ミーティング
12月9日~12日 第2回本作品「光彩」上映会(於:教養8・9番教室)
12月18日 第5回定例総会
忘年会(於:山口屋旅館)

●この年、明日の風から表彰された人々
敢闘賞:鶴岡 邦昭
同上:滝川 直美
殊勲賞:尾崎 誠司
同上:松村 圭子
技能賞:井上 晋彦
最優秀新人賞:国川 隆
助演女優賞:栗原 英子
努力賞:田淵 浩幸

●第二代役員
代表:菅原 敏雄(1月~12月)
副代表:荒島 嘉彦(1月~7月)
   :小宮 道信(7月~12月)
   :鷲尾 忠彦(7月~12月)
総務局長:鷲尾 忠彦(1月~7月)
    :尾崎 誠司(7月~12月)
書記局長:松村 圭子(1月~12月)
会計局長:進藤 亜佐美(1月~7月)
    :滝川 直美(7月~12月)
研究:小宮 道信(1月~12月)
企画局長:井上 晋彦(1月~12月)
第二代会計監査:近藤 由美子(1月~12月)

活動の概括

結成二年目のこの年は、「同好会形態」から「サークル形態」への脱皮を目指し前年に築かれた基盤を更に拡大し、ほぼ今日の姿に近いまでに急成長を遂げた年である。 しかし一方では、今日、昭和57年は暗い年だったと伝えられているように、グループの内部矛盾が表面化し様々な問題を生じた年でもあった。

まず前年12月の規約制定を受けて、組織の整備・体制化が急速に推し進められ、今日のような能率的運営形態を確立することが出来た。 それと同時に、個人機材に100%依存している状態から脱皮するため、「機材購入計画」が樹立され、昭和59年には、ほぼその目標が達成された。 また映画製作面では、第一回本作品の反省に基づき、作品の質的向上・技術的進歩が目指され、作品の規模も当時としては破格のものとなった。

この様なグループの基盤拡大・急成長ということは、確かに大きな成果であったが、その反面、新たな問題を我々に投げ掛けることになった。 すなわち急速な組織化は、一方で会員の人間疎外を招き、他方で一部幹部のみによって運営が行われるといった硬直的体質をも生み出した。 加えて、「部門別研究班制」など前年度より継承していた諸制度についても、その欠陥が指摘された。

また、積立金の導入は会員の経済的負担を過大なものにしていたが、この年の後期に起きた三期生(この年の新入生)の大量脱退や第2回本作品「光彩」の製作費の膨張が更にそれに拍車をかけ、グループの財政的危機を招いた。 11月には、このようなことがグループの存続・解散問題にまで発展する異常な事態にもなったため、臨時の集中ミーティングなども開かれたが、打開策を見出すには至らなかった。

結局、こうした諸問題の改革は人心一新による第三代役員の登場を待たねばならなかったが、少なくとも、この年にグループ内に生じた強い危機意識は、その後の組織改革・財政改革・年間活動計画の見直し・運営方法の改善などに着手する大きな契機となったことは明らかである。

第二代代表 菅原 敏雄

昭和58年の出来事

月日 行事
1月19日 第6回定例総会
1月22日 新年会・追コン(於:若水旅館)
OB会設立
「夢羽美」Vol.4 発行
3月 合否電報 実施
4月3日~5日 春季集中ミーティング
4月21日~22日 新歓上映会(於:教養1番教室)
5月7日 第7回臨時総会
5月21日 新歓コンパ(於:山口屋旅館)
6月 イメージフィルム「私は地底人を見た」「夏の女」製作
7月2日 七夕祭参加
模擬店「極道なるど」「ウルトラマン」
上映会「Milky Way Theater」
7月9日 第8回臨時総会
7月13日~15日 合宿(於:福岡県・大倉屋シーサイドビラ)
9月2日~4日 夏季集中ミーティング
10月2日 第3回本作品 Crank-in
11月6日 Crank-up打ち上げ(於:つくしんぼ)
12月8日~10日 第3回本作品「夜が明ける前に」上映会(於:教育11番教室)
12月17日 第9回定例総会
12月21日 忘年会(於:青柳旅館)

●この年、明日の風から表彰された人々
主演男優賞:柳川 尚孝
同上:尾崎 誠司
助演男優賞:杉原 敬二郎
殊勲賞:久保 伸一
同上:滝下 公彦
技能賞:井上 裕之
主演女優賞:遠藤 明子
助演女優賞:楠元 直子
同上:竹重 真由美
代表特別賞:田中 美鳥

●第三代役員
代表:小宮 道信(1月~12月)
副代表:鷲尾 忠彦(1月~12月)
    尾崎 誠司(1月~12月)
総務局長:尾崎 誠司(1月~5月)
     国川 隆(5月~7月)
     米村 英明(7月~11月)
     小宮 道信(11月~12月)
書記局長:栗原 英子(1月~7月)
     田中 美鳥(7月~12月)
会計局長:松村 圭子(1月~12月)
研究:井上 晋彦(1月~7月)
   国川 隆(7月~12月)
第三代会計監査:滝川 直美(1月~5月)
        進藤 亜佐美(5月~12月)
OB会事務局長:菅原 敏雄(4月~12月)

活動の概括

私は、堅い文章がきらいだ。いや、正確に言うと不得手なのだ。年末になり総括を書けと言われるたびに頭を悩ませ、いかにすれば難しげな幹事が並ぶかと苦心していた。 さて、五周年にあたり、三年目の活動の総括的文章を書けということ、おそらくこれが最後の総括と思い、ひらきなおって、こんな書き出しになってしまった。

三年目にあたる昭和58年度の活動の目標は、部の活性化と安定であった。 そして密かにみなが期待したことは、前年まで言われてきた我が部の「堅い」、「暗い」体質の改善ではなかったろうか。

活動のガイドラインは、一、二年目にできあがっており、それをいかに拡充し、各部員がいかに積極的に参加できる体勢を作れるかが問題であった。 前期の七夕祭においては、資金獲得を主目的として、部員一丸となり商魂を燃やし、過去二年間の倍以上の収益を上げた。 また、合宿においては、部内のモータリゼーションの波に乗り、福岡県西部への大ツアーを敢行し、合宿を部内の年に一度の大レクリエーションとして定着することができた。

代表や役員の位置、性格も、一、二年目とは違ったものになった。 これは、各行事の担当者が経験豊かな三年生であることが多く、個々に活躍してくれたことにより、代表、役員の仕事が軽減したためである。 イメージフィルム、七夕祭、合宿、本作品と、それぞれの時期に自発的に活躍してくれたヒーロー達が生まれた。

正直言って、非力で無精な代表であった私を支えてくれるパワーが周りにあったことは、本当に幸いであったと思う。 そしてそのパワーは、安定期に在った明日の風自体によるものではなかったろうか。 一、二年目に言われた兼部問題なども影を潜め、三年目の明日の風は安定した活動のできるクラブに成長していた。

第三代代表 小宮 道信

昭和59年の出来事

●第四代役員
代表:鷲尾 忠彦(1月~12月)
副代表:尾崎 誠司(1月~12月)
    瀬畑 新治(7月~12月)
総務局長:鷲尾 忠彦(1月~7月)
     柳川 尚孝(7月~12月)
書記局長:尾崎 誠司(1月~7月)
     竹重 真由美(7月~12月)
会計局長:田中 美鳥(1月~7月)
     岸崎 敬子(7月~12月)
研究:小宮 道信(1月~12月)
企画局長:前原 信哉(7月~12月)
情宣部長:瀬畑 新治(1月~7月)
渉外部長:柳川 尚孝(1月~7月)
第四代会計監査:松村 圭子(1月~12月)
OB会事務局長:栗原 英子(1月~12月)

活動の概括

昭和59年度は、世代交代の間を抜く奇妙な形態の組織からのスタートであった。

活動内容は、1月方針決定、追いコン、3月合否電話の実施、4月新歓、5~6月イメージフィルムの製作、本作品の企画、七夕祭等、7月中間総括、合宿、9月秋季集中本作企画会議、10月本作クランク・イン、11月クランク・アップ、12月上映会、総括、役員交代、といったあらましであった。 その他、4月春季集中ミーティングにおける基礎学習、7~8月における1年生自主作品「せみしぐれ」の製作等。

毎年の行事とほぼ似ているが、59年度の素晴らしい所は、合否電話の正式行事化、イメージ・フィルムの長編一本化、非公式作品ではあるが、長編映画の年2本製作、などである。 行事的には上記の通り、その他については、会費の値下げ~月1000円体制~等があげられよう。

次に、会員についてであるが、新入会員の増大~会員倍増政策~によって、現在26名の会員を擁するにいたった。

最後に、本作「よせてはひく夏」についてであるが、実はこの作品は、例年の本作のスタイルを一新させた、いわば時代に乗った、つまり「重」から「軽」へ、建前から本音へ、といった感じの、理屈抜きにした、感情に訴える映画であった。 過去3作品の、構成、理論を半ば無視したような、理屈抜き、構成抜き等、いわば、あらゆるワクを超越した、感覚的な、感能的な映画である。もちろん、理解するのが困難であるが、登場人物の気持ち、行動、感情の変化を主体とした、人の内面に意味を持たせる、ストーリー重視の今までの体制を見事に覆したのだ。

59年度は、一部に、つまらない事件のような事もあったが、全体的に、それなりの成果を上げたようにも思える。 明日の風も、一つの転換期に入ってきたような59年度であった。

第四代代表 鷲尾 忠彦

昭和60年の出来事

●第五代役員
代表:柳川 尚孝(農学部二回生)
副代表:瀬畑 新治(経済学部二回生)
総務局長:柳川 尚孝(農学部二回生)
情宣部長:岸崎 敬子(経済学部一回生)
渉外部長:久保 伸一(理学部一回生)
書記局長:竹重 真由美(理学部一回生)
会計局長:楠元 直子(理学部一回生)
研究:尾崎 誠司(理学部四回生)
本作監督:瀬畑 新治(経済学部二回生)
第五代会計監査:田中 美鳥(教育学部二回生)
OB会事務局長:鷲尾 忠彦(経済学部四回生)

活動の概括

西暦1985年、我々、「明日の風」も数えて5度目の年間活動を開始させる格好となった。 何度も言われる様に今年は会結成五周年、いい意味での緊張を力に、この記念すべき年にふさわしい活動を繰り広げてゆくつもりである。

今年度からの役員を含む会員は、そのほとんどが創立世代からバトンタッチされた新しく、若い世代の陣容となっている。 単純に裏返せば、未だ未熟と言えるのかもしれないが、語弊があるにしろ、我々は「試行錯誤」という挑戦精神の下に、各活動、各行事に臨んでゆきたい。

まずは定石通り、物理的かつ経済的充実を目標に、会員の増加を目指す。 本音を言えば、人が少なけりゃ実に寂しいわけで、とにもかくにもその最前線ともなる新歓期争奪戦には会員一丸結束、全身全霊を傾け、まさに会運をかけてゆく所存である。 新会員勧誘-その時点で新歓の終わりを告げるのではなく、確実に実働会員となるげく、新歓の心待ちを我々会員は、用済みの箱に納めてはならない。 特にそれに付随するものと思われる情宣系の活動においては、過去の経験を参考とした上で、実のある一網打尽を狙ってゆく。

合否電報電話やビラ配り、ポスターや立看等、表向き、裏向き両活動での各会員の個人的姿勢や茶話会での全体的対応ムードを魅力あるものにする。 もっと広げて言えば、会員が年中、新歓の気合いを忘れず、相互のコミュニケーションの場として、若者らしく、大いに遊びの間を設け続けてゆくということである。

次に、文学的なコミュニケーションの場ともいえる「夢羽美」を初めとする印刷物等の適数精鋭化を図る。 今年度からはOB会員も増え、そのOB会員とのいわゆる一つの形の絆として、また、現役会員間では、コミュニケーションはもちろんの事、実務的な連絡手段として意味を持たせたいものであり、その距離が問題となっていた工学部との潤滑な疎通も然りという具合である。

また本作を中心にみられる日程の過密化を打開する。 活動の主役である映画製作そのものが、どちらかといえば制作=撮影という感覚にとらわれがちなのも非常に窮屈な日程の偏り方に起因していることは否定できない。 そこで日程を柔軟に散らすことによって、会員が年間を通して、映画製作に身を浸していくことにもなり得ると思われる。 またそうした上で、時間や機材の都合を考慮すれば、有志による意欲的な自主制作も喜ばしいことであるし、脚本関係への積極性を広く促進させることや、基礎学習セミナーの開講等によって、先にも述べた日常性豊かな映画製作に対する姿勢が切り開かれてゆくのではなかろうか。

第五代代表 柳川 尚孝

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